西洋の目、日本の目

「なつかしの一九八〇年代」という副題のついた村上春樹の「The Scrap」(文藝春秋)を読みました。

これは村上春樹が1980年代に「スポーツ・グラフィック・ナンバー」誌に書いていたコラムを集めたものです。装丁はもちろん和田誠です。

村上本人はまえがきで、とても面白い仕事だったと述懐しているのだけれど、2007年の今この本を読んでみて思ったことは、なぜだか懐かしくもないし、面白くもないってことです。

村上は編集部からどっさり送られてくるアメリカの雑誌・新聞(エスクァイア、ニューヨーカー、ライフ、ローリングストーン、etc.)を読んで、彼の興味を引いたトピックスについて書いているのだけど、懐かしさを感じるほどの新鮮な「古さ」がない。20年という月日は物事を風化、抽象させ、新たな思索に我々をいざなうには短すぎるのだろうか。

というか村上春樹って人は現代日本の最も著名な小説家でノーベル賞候補の常連(とかく思想性が言われるけど、僕が思うにスノビズムがこの人の小説の本質だと思う)なのだけど、コラムニストとしてはあまり冴えた人ではないという気がします。

「西洋の目、日本の目」(青土社)は高階秀爾が西洋美術と日本美術について書いたコラム集です。いうまでもなく高階秀爾は西洋美術の批評において世界的な仕事をしてきた人で、僕もこの人の著作から学んだことは多いです。しかしこれほど明晰な頭脳を持つ人が、日本美術の普遍性について極めて限られた言説しか呈していないことに、僕は不満を持っていました。

 この本のタイトルからついにこの人が日本美術と西洋美術を普遍化するような体系について語り始めたのか、と期待したのでしたが、そこまでの踏み込みは残念ながらなかったです。それでも森村泰昌、江藤淳、和辻哲郎などについて語る第4章「文学と美術」は読書・美術ガイドとして面白くて、いまさらながらと思いつつも、和辻哲郎の「イタリア古寺巡礼」を図書館予約システムで手配しました。

その感想はまたその内に。

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