頭上観察

先週は江戸の文化について書かれた本を2冊読みました。石川英輔の「大江戸えころじー事情」と、鈴木理生の「大江戸の正体」です。

「大江戸えころじー事情」は江戸が太陽エネルギーの枠内だけで、つまり化石燃料をまったく用いずに、高度な文明に達していたという事実を、さまざまな観点から考察したものです。この人、渡辺京二のあの「逝きし世の面影」に大きな影響を受けたそうで、「渡辺の文明としての江戸」という枠内で特にエコロジーを議論したものですから、僕もふんふん、と共感、納得する部分が多かったです。

「大江戸の正体」は一見きわもの風のタイトルですが、江戸の様々な職業の人々の生態を丹念に調査・分析したもので、とてもまじめな本でした。

これまで江戸に関する本も沢山読んできたので、この2冊で特に大きな感動はないですが、それぞれ、僕にとっての新たな発見があり、改めて江戸という時代の多様性、奥行きを感じました。

ところで、話は変わって僕の高校時代の友人が、最近彼の出身中学をグーグルアース(そう、世界中のあらゆる場所を衛星写真で上から見ることが出来るあれです)で見てみたら、なぜか中学校の上にノートPCが見えるというのです。

酒を飲みすぎなければ良いやつなのに、と思いつつもグーグルアースで見てみたら、やっぱり僕にも、その中学校の上にノートPCが開いた状態で浮かんで見えるのです。

 仮説1:狂気は感染する

仮説2:グーグルアース作者のいたずら

仮説3:その地区の画像撮影の際に、ノートPC型UFOが偶然飛来した

仮説4:ノートPCの「画面」は実はプール、「キーボード」は実は周辺施設である

その仮説検証はともかく僕が思ったのは、この事例は路上観察の一変種としての価値があるのではないか、ということです。路上観察というパラダイムは一種のアンチ芸術であり、主体的で営利的な芸術行動の枠外に、芸術に対抗しうる価値を見出すところに意義があります。ところが、現代ではグーグルアースにより既にPCを用いたお散歩が可能であり、路上観察的問題意識さえあれば、我々の周りの風景を異化する新しいビジョンがPC上に成立しうるのではないか。

あるいは怠惰な人のための新しい路上観察=「頭上観察」の誕生か?

などと妄想が膨らみましたが、まあ仮説1の可能性もゼロではないので、あえてその中学校の名前は伏せて置くことにします。

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