逝きし世の面影

ハーン、バード、ポンディング、バルト・・。このブログでは、過去の日本を旅した外国人の旅行記を好んで紹介してきました。それは単なるノスタルジアというより、江戸から明治の頃の日本が現代と比べて、あるいは同時代の他国と比べて、全く異質かつ驚異的な美に溢れた世界であったとの認識からです。そして外国人の目を借りて過去の日本を旅すること、これが僕の読書の楽しみ方のひとつのスタイルになりました。

渡辺京二の「逝きし世の面影」は、江戸から明治の日本を「既に失われたひとつの文明」と明確に定義しています。そして外国人が残した手記や旅行記を分析することによりその失われた文明の様態を明らかにする、という行為を徹底的に行っていきます。

つまり渡辺京二は僕がなんとなく個人的に行っていた「外国人の目を通した過去の日本の解釈」というアプローチを、それ以前にはるかに体系的にやっていたのですね。

「私はいま、日本近代を主人公とする長い物語の発端に立っている。物語はまず、ひとつの文明の滅亡から始まる。・・・日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振った清算の上に建設されたことは、あらためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。だがその清算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含意もあわせて十分に自覚されているとは言えない。・・・実は一回限りの有機的な個性としての文明が滅んだのだった。」

渡辺京二は福岡出身の在野の思想家だそうです。それゆえ、彼の議論にはある種大胆で自由な物の見方があり、そこがこの本の魅力になっていると感じます。いくつか彼の論点を紹介しましょう。まず彼が通説に反して強調するのが、その頃の日本人の陽気さ、奔放さ、自由さです。

例えば明治9年に来日した英国人ディクソンは東京の街頭風景を以下のように述べています。「ひとつの事実がたちどころに明白になる。つまり上機嫌な様子がゆきわたっているのだ。・・・西洋の群集によく見かける心労に打ちひしがれた顔つきなど全く見られない。頭を丸めた老婆からきゃっきゃっと笑っている赤子に至るまで、彼ら群集はにこやかに満ち足りている。」また日本を訪れる前に様々な国を歴訪したボーヴォワルは日本の民衆について「この鳥籠の町のさえずりの中でふざけている道化者の任集の調子のよさ、活気、軽妙さ、これはいったい何であろう。」と嘆声を上げています。

それから外国人が魅せられた田園都市としての江戸のありかたについて。

「江戸の独自性は都市が田園によって浸透されていることにあった。都市はそれと気づかぬうちに田園に移調しているのだった。しかも重要なのはそのように内包され、あるいはなだらかに移調する田園が、けっして農村ではなく、あくまで都市としてのトーンを保っていることだった。・・・これは当時、少なくともヨーロッパにも中国にも、あるいはイスラム圏にも存在しない独特な都市のコンセプトだった。後年、近代化された日本人は東京を「大きな村」ないし村の集合体として恥じるようになるが、幕末に来訪した欧米人はかえってこの都市コンセプトのユニークさを正確に認識し、感動を隠そうとしなかったのである。」

江戸はつまるところ欧米人にとって「気楽な生活を送り欲しい物もなければ余分なものもない」世界として映ったのであり、いずれ朽ち果ててしまうことを予感させる「原罪を知る以前のエデン」であったのです。それは人間のあり方の本質的なところで彼らが直感していたことでした。

渡辺京二も僕も、だからといって江戸のようなあり方を現代に回復できるとは夢にも思っていませんし、我々がその時代に生きたら幸福になれるとも思っていません。

ただ、少なくとも僕にとっては、江戸と言う文明の類まれな美しさと豊かさ以上に魅了する何かが現代のどこにも存在しないということなのです。

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