謎の加耶諸国と聖徳太子

武光誠の「謎の加耶諸国と聖徳太子」(文芸春秋)を読みました。好きなんですね、こうゆうの。古代史、特に神話形成と聖徳太子に関わる謎ときが。

日本は弥生時代から大和朝廷の成立そしてそれ以降も、朝鮮半島の影響を様々な形で受けてきたといわれますが、むしろ弥生時代の紀元前2世紀から5世紀頃までは、(イデオロギー的な考えを排除して客観的に物事を見てみると)日本列島と朝鮮半島南部は文化と言語を共有していたと考えるべきではないか。

そうであるなら、なぜ日本と朝鮮はひとつの国にならなかったのか、なぜ別々の民族としての道を歩むようになったのか、そしてそれに至る歴史的背景とはいかなるものだったのか。武光誠はそのような問題意識から、日本と朝鮮半島の共通的な通史を語って行きます。

確かに、弥生時代には陸上交通網は海洋交通に比べ格段に未発達で、北九州の人々は日本海を丸太舟で頻繁に行き来しており、北九州と朝鮮半島との心理的距離は、北九州と大和との距離よりはるかに近かったのです。

朝鮮半島は辰韓、馬韓、弁辰の時代から幾多の変遷の後、新羅が統一して行きますが、その歴史の中で日本は朝鮮を通して中国の先進的な文化を吸収していく、一方朝鮮の国々はその時代のパワーバランスの中で巧みに大和朝廷の武力を利用していく訳です。

武光誠が描いていく歴史では、強大な武力を有する中国と日本に挟まれた朝鮮の外交的手腕が浮かび上がります。一方、強力な武力を背景に故郷の一部としての朝鮮半島南部に固執するが、朝鮮半島国々の外交戦略の中で、確固とした外交戦略を確立し得ないまま敗退していく大和朝廷の姿が見えてきます。

そう、日本の外交音痴は今に始まったことではないのです。これはもうお家芸のようなものですね。

日本が独立した国として意識を始める頃、外交の天才として登場するのが聖徳太子なのですが、残念ながら天皇になることなくして太子は亡くなり、太子の一族は天皇家との確執の果てに皆殺しされてしまいます。

もし、聖徳太子が天皇になっていたら、朝鮮半島ともっと良い関係が構築できたのではないか?

歴史にifはないと言いますが、天智天皇と藤原一族から始まり、今日まで脈々と受け継がれている日本の愚かしい外交の道筋を思うと、武光誠が提示するこのひとつのifを考えてみたくもなるのです。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です