落語に見る江戸の「悪」文化

最近読んだ本:
「妖怪文化入門」/小松和彦(せりか書房)
「落語に見る江戸の「悪」文化」/旅の文化研究所編(河出書房新社)

「妖怪文化入門」は、憑き物の研究で有名な小松和彦が日本の妖怪研究の現状をまとめたものです。

河童、天狗、鬼など、おなじみの妖怪はもとより、現代の妖怪文化を代表するものとして水木しげると京極夏彦の作品の妖怪文化における位置づけが解説されてます。

小松和彦は以前読んだ「日本の呪い」がとっても面白かったので、今回も期待したのですが、妖怪を文化として体系的に意味づけようとするためか、一般論を連ねた面白みのない本になってしまったな、と感じました。それに図版が1枚だけというのは、妖怪文化入門と銘打つにはちょっと興ざめです。

この本を読むより、水木しげるの妖怪画集を眺めるほうが良かったな、というのが正直な感想。

「落語の中には悪人は出てこない。だからまずはお前自身の人間を磨け。」と三代目三遊亭金馬師匠は言っていたそうです。

「落語に見る江戸の「悪」文化」は、八っつぁん、熊さんがおりなすたわいもない「悪」の考察から、江戸の庶民文化を浮かび上がらせるという趣向です。

落語に現れる悪者はどこか憎めない、もし憎むべきと観客に思わせたら、既に笑いとしての面白みを失っているわけですから、悪を戯画化する技量こそが、落語家の真髄なわけです。

それでは、そのような悪が語られた場所といえば、吉原と品川の二大遊郭、小塚原と鈴ヶ森の二大刑場それから、行き倒れが多い浅草寺や明暦大火の10万人以上の焼死体を埋葬した両国回向院となるわけですが、それらの悪所はたぶんに江戸庶民の共同幻想としての悪の虚構の空間であったらしいのです。

そのような落語における悪のトポスは同時に歌舞伎の主要な舞台であり、さらに浮世絵にも通じる近世の文化の源泉であったことは、興味深いことです。

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