ディック・フランシスの「勝利」

ディック・フランシスの勝利

最近読んだ本:
・「勝利」/ディック・フランシス(ハヤカワ文庫)
・「日本美術の二十世紀」/山下裕二(晶文社)

ディック・フランシスを久しぶりに読みました。2001年に単行本化された「勝利」で、最近文庫化されたものです。僕はディック・フランシスを確実に十数冊は読んでいるのですが、後書きを読むともう40冊近く出していることに改めて驚きました。

ご存じない方のために少し解説すると、ディック・フランシスは騎手出身のイギリスの小説家で、騎手としてもエリザベス皇太后の専属騎手となるなどトップクラスの活躍をした人ですが、小説家となってからは、イギリスの競馬界を舞台にした推理小説を次々に発表、ほとんどがベストセラーになるという、小説家としても現代のアガサ・クリスティーみたいな人です。

スタイルは常に一人称の語り口でやや洗練されたハードボイルド、主人公は騎手のこともあるし私立探偵のこともありますが、今回は友人の騎手がレース中に亡くなってしまうことから事件に巻き込まれてしまう、ガラス工芸作家という趣向でした。

誰が主人公であっても、決して警察に頼らずに事件の解決に腐心するパーソナリティと、ひどい目に会いながらも事件を解決していく典型的な巻き込まれ方の展開、それにイギリスの階級社会を映し出す独特の語り口は全ての作品に共通しているのですが、今回もいつものように最後まで飽きずに読んでしまいました。

小説の中で主人公が警察に頼らないことはいつも徹底していて、警察が社会風景の一部以上の存在を占めたことは(僕の知る限り)ないのですが、今回は主人公と女性警察官が仲良くなるという展開があり、ついに主人公と警察が仲良く事件を解決か?と思わせましたが、結局謎の99%は、主人公が一人で解決してしまいました。

これは僕の勝手な想像ですが、騎手時代の絶頂の時、イギリスのグランドナショナルのレースで後続に大差を着けながら彼の騎乗した馬がゴール手前で動かなくなるという事件があったのですが、これが推理小説作家への転進のきっかけを与えたと同時に、警察と彼の間で悪い印象を持たざるを得ないようなやりとりがあったのではないか?

それはともかく、ディック・フランシスは、マンネリといわれようが、面白いものは面白い!としか言いようがない作家です。

山下裕二って、明治大学の芸術学科の教授で一応アカデミア側の人なのですが、岡本太郎と日本美術の応援団長みたいな活動と岡本太郎仕込みの無頼な言説で有名な人です。

僕も大の岡本太郎ファンなので、彼の権威に媚びない、日本美術への素直な視点に共感することが多いです。

「日本美術の二十世紀」は、山下裕二が雑誌「is」に連載した8編の文章を掲載したものです。白隠や長谷川等伯の再評価の視点とか、アメリカにおける日本美術の理解のされ方とか、写楽は誰だったのかとか、あまり脈絡のない文章の集まりなのですが、ところどころに岡本太郎が引用されて、僕としては楽しかったです。

ちなみに、岡本太郎って晩年にCMに出た時の印象から、自己意識に凝り固まった変な芸術家のイメージが強いですが、僕にとっての岡本太郎は、明日の神話でも太陽の塔でもなく、彼の一連の著作です。

岡本太郎は「今日の芸術」や「沖縄文化論」で彼が再発見した縄文や沖縄の石垣を語りましたが、そこにはアイコンとして消耗された岡本太郎の背後に、圧倒的な直感と知性があったことを教えてくれます。陳腐な言葉ですが、岡本太郎は今でも新しいと思います。

写楽に関しては、特に興味があると言うわけではないのですが、以前写楽=北斎説を取る田中英道の本を読んだことがありました。

田中英道が北斎と写楽との様式的解釈からその同一性を理論的に証明したと言い張っていることに対し、山下裕二が権威に頼って論証する詭弁的論理の危うさを批判しているのはさすがだと思いました。僕は様式論を戦わせるほどの知識はないのですが、そもそも直感的に北斎と写楽は絵が似てないと思います。

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