日本人は思想したか

最近読んだ本:
・「日本人は思想したか」/吉本隆明・梅原猛・中沢新一(新潮社)

今週はこの本だけでお腹いっぱい、という感じでしょうか。日本人の思想の土台から形成、近代における様々な変容を、3人でつぶさに検証して行くという、まことにこの3人で始めて可能となるような鼎談です。

驚くべきはこの3人の碩学ぶりで、ヘーゲル、マルクスから構造主義にいたる西洋思想の系列、歌垣から古事記、源氏物語から和歌、連歌に至る日本の歌物語の伝統、聖徳太子から親鸞、法然へと至る仏教の日本への習俗化、そして近代における西欧思想を克服しようとする西田幾太郎、和辻哲郎に代表される東洋の土壌を背景とした日本における哲学思想の流れを、世間話をするような調子で次々に遡上に挙げては、大きな流れの中に位置づけていきます。

吉本隆明って僕の敬愛する梅原猛より少しだけ年長なのですが、この対談では縦横無尽に炸裂する梅原節に比してあまり存在感がなかった感じですね。梅原猛って西洋哲学から出発して独自の思想的境地に到達しているのですが、いつでもとっても分かりやすいのです。なぜって、梅原思想の根底にある日本的な自然観への共感が、全ての言葉の根源にあるから、全ての議論の見通しが良いのです。まあここは個人的な好みもありますでしょうが。

中沢新一はこの鼎談で、陽子と中性子を結びつける中間子のような存在でいようと思ったが、ちょっとでしゃばってしまった、と言うようなことを最後に書いていますが、二人の著名な思想家に劣らぬ碩学ぶりもさることながら、議論を大きな流れのどこの場面に位置づけるか、というようなところが、とってもうまいと思いました。

ただ、この人は優れた分析者であり、物語的才能もあるけど、歴史に残る思想家となるようなタイプではないなと思います。ちなみに僕は別にポストモダンやいわゆるニューアカデミズム(懐かしい言葉です)嫌いではないです。それらの領域の著作は、読んでそれなりに面白いし楽しいけど、別に為にもならん、とは思ってますけど。

この対談は1994年に何度かに分けて行われたのですが、巻末に1995年に書かれた3人の後書きがあります。

吉本隆明と中沢新一はそろって、対談後の1995年3月に起こったサリン事件に言及して、この事件日本人の精神に深い影響を及ぼすだろうことを言っています。

梅原猛は対照的に、最後の対談後に行った料亭で、吉本隆明がよしもとばななの父親だというので、そこの女性たちから「あんたはん、左うちわでよろしおすなあ」と言われ、みなで大笑いしたというようなエピソードを書いています。

その後、吉本隆明と中沢新一が、オウム真理教への共感的な言説から、共に批判されたと言うのは皮肉なことです。

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